FC2ブログ

害り 包 と 七爺八爺 大 女子 き 

こんにちは、留川ほちょです。HPも見に来てね!(´∀`)http://hosokawahocho.web.fc2.com/

 

仏教が嫌いだ。

とても個人的な好みの問題なんですが、私、仏教が嫌いなんですよ。

でも、実家は仏教なんですよね。
そもそも、宗教というのは、個人の信仰だと思ってたんですが。
なんで「家」単位で信仰の矛先が決まるのかが、不思議で仕方なかった。
なぜ、毎日仏さんに手を合わせてるわけでもないのに、仏教なんだろう。
お願い事をお参りするのは神社なのに、なぜ葬儀は仏教なんだろう。
日本の冠婚葬祭の「葬」は仏教式の人が多いのに、なぜ婚は神式やキリスト教が多いんだろう。
私が死んだら、孤独死でなければ、祖父母のように坊さんがお経をあげるのだろうか・・・とか、
先祖供養が必要なら、故人の写真や遺品を拝めばいいだけなのに、なんで位牌なんろう・・・
あんなもん、ただの木で出来た板やん・・・とか。

そういう事に、とても疑問を感じていた。
私にとって、仏教の本質なんて、葬儀屋なのです。


ずっと、「仏教」に対してモヤモヤしてきた気持ちが、今日のNHKの「クローズアップ現代」で、解消された。
「多くの日本人が仏教なのは、江戸時代に国民がキリスト教に流れない為の政策だった」ということで。
ああなるほどなー・・・って、やっと納得した。
つまり、信仰の有無に関係なく、「キリスト教でないなら仏教にいくべ。」みたいな、気持ちだったんだな。(笑)

なんというか、日本人の「信仰」に対する適当さに、和んだ。(笑)


同時に、「宗教」という言葉には、複数の意味合いがあるんだなと、あらためて実感した。
一つは、超自然的なものに対する尊敬と畏怖で、もう一つは、儒教のような「政治」だ。
自分が神だと信じて信仰心をささげた宗教が、その宗教の上層部にとっては「政治」であるなら、
人の「信じる気持ち」を自分たちの都合の為に利用する人の存在を意識すると、
どうしようもなく悲しい気持ちになるし、自分以外信られない。
自分しか信じられないというのは、とても殺伐としているなあ・・・と。
そもそも、そういう殺伐さを解消するために宗教があるはずなのに・・・変やなあ。

神社にしても、週一回ペースで近所の土地神社にお参りしてるけど、
神様・・・となると、あんまり信じてないんだよね。
そもそも神社に神様の存在なんて微塵も感じてないんですよ。
霊感ある人とかならちがうのかもしれないけどさぁ。
神社にお参りをするというのは、自分の願望や意思決定を言語化して心でつぶやくだけのもので、
なんなら、目標を紙に書いて壁に貼っておく行為と大して変わらないのです。
神社のお社に、実際のところ神様がいるかいないかなんていうのは、重要ではないのです。


でも、旅先の寺、神社、廟に行くと、私の願い事は一つだけ。
「縁があってここに来れました。また来ることができますように。」


これは、本当に。かなえばいいなあと。

もうすぐ台南に行くんですが。
10年位前に行った廟や街に、また行けると思うと、本当にうれしいね。
縁を感じることにうれしさを感じるし、
神様が「求める心」を強くしてくれるのであれば、私はその存在を信じたい。

私にとって、「欲」は生きることで、「無欲」は死なんです。
だから、無欲を推奨する宗教は、信じられないんです。
そして、何かを求めるために神様に寄っていくのはいいと思ってるけど、
神様に寄って行くのが目的になることは、私の中ではありえない。


それにしても、台湾は縁があるなあと思う。
初めて台湾に行ったきっかけは、本当たまたまだから。
タイ旅行に行けなくなって、名前が似てるから台湾に行っただけだし。
何でだろうね。

やっぱ何かいるんかな~。(笑)

そういう存在は、面白いね。夢があるね。
私の中で、七爺八爺や台湾の廟は、そういう夢の宝庫なのです。


糸田川ほちょのHP ZIPANG




スポンサーサイト



web拍手 by FC2 ←励みになります!!
Comments

Body

« »

08 2020
SUN MON TUE WED THU FRI SAT
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -
七爺八爺
プロフィール
糸田川ほちょ
検索フォーム
ブロとも申請フォーム
QRコード
QR